| DWM−P08 |
| P08(ピストール08)は、1908年ドイツ軍用制式ピストルになり、最も多量に生産され、パラベラム・ピストール中の代表的な製品である。ドイツ海軍は、1904年からパラベラム・ピストールの採用と支給を開始していた。ドイツ陸軍はこれに遅れること4年。1908年に軍用制式ピストルとして10cmバレル付きを採用し、1909年から生産と需要が始まった。P08を、第1次対戦集結の1918年までに最も大量に生産したのはDWM社である。DWM社の製品は、遊底上面にDWMの3文字をデザインした花文字の刻印が打たれている。また、軍用向けの製品は、レシーバー上面に製造年が4桁数字により表示された。 DWM(ドイツ武器弾薬製造)は、1909年約15,000丁の生産を行わない以降1910年73,500丁、1911年114,500丁と生産台数をのばし、1918年までに90万丁以上を生産した。第1次大戦後、軍用向け生産をベルサイユ条約で禁止されたものの、様々な抜け道を使い1934年モーゼル社に生産が移行するまで数々のバリエーションで製造をつづけ約46万丁を完成した。 (2026.9.7[Mon]) |
| コルトSAA |
| コルトシングル・アクションアーミー(コルトSAA)は、ピースメーカー、モデルP_、コルト45、シックス・シューター、コルトフロンティアシックスガンなどとも呼ばれる。 コルトを代表し、アメリカを代表するリボルバーだ。アメリカで、いち早く生産し、パーカッション方式撃発機構の軍用リボルバーをリードしたのはコルト社だった、しかし、1857年に、スミス&ウェッソン社が、金属薬莢式リボルバー発売。初めは、小口径のものだけで、軍用リボルバーとしてのコルト製品に影響を与える程ではなかった。その後、スミス&ウエッソン社は、大口経化への努力を重ね、1870年になると、44口径を完成し、アメリカ陸軍リボルバーのテストを受けるまでになった。一方、コルト社は、金属薬莢式(カートリッジ)リボルバーへの転身が遅れた。初め、コルト社は、それまで生産していたM1851ネービーやM1860アーミーなどのパーカッション式リボルバーを改造して発表した。これらの改造型は、コンバージョン・コルトと呼ばれ、代表的なものにツアーパテント、リチャードパテントなどがあった。1872年通称オープン・トップと呼ばれる44口径の薬莢式コンバージョンリボルバーM1872を発表する。しかし、このM1872は、シリンダー上方のフレームがなく、強度的に十分でないと言われる。そこで、シリンダー上部にもフレームを渡したソリッド・フレームの新型を設計した。1872年末のこと。完成されたコルトSAAは、急ぎ、アメリカ陸軍に送られ、スミス&ウエッソン社の中折れリボルバーの切り崩しを図る。アメリカ陸軍は、構造単純で、ハンマーのコックしやすさを評価し、翌1873年7月8,000丁をコルト社に発注、ここにコルトSAAの歴史が始まる。途中に何度か生産の中断があったものの、現在まで作られ続けている。コルトSAAは、各種銃身長と36種の異なる光景で作られた。 (2026.9.2[Wed]) |
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